ジュゴンが生きる沖縄の海で -自然とともに生きる沖縄の人々の暮らしと願い-

わずかに残ったジュゴンの話に導かれて、沖縄を取材してきました。

私たちが暮らしていく上で一番大切であるのに、つい忘れがちになってしまう「自然環境」との共存。沖縄で出会った人たちを通して、改めて人と自然のつながりを強く感じました。自然の神や自然の恵みと共に生き、環境保全という形で自然への感謝をあらわしている人たちなど、沖縄には自然と共存を目指す多くの人々がいることを知りました。
まだジュゴンが生きる海の傍には、もっともシンプルで自然なライフスタイルが息づいていたのです。

沖縄の海

   ■多くの生き物が生息する沖縄の青い海

ジュゴンが生きる海を残したい

沖縄の基地移設問題に関心を抱くきっかけは、初めて行った整体のスタッフが沖縄出身で、その方が辺野古の海に生息している「ジュゴン」の話をしてくれたことからでした。
1990年代からずっと続いている沖縄県の普天間(ふてんま)基地移設問題。
移設先候補となっているのは名護(なご)市の辺野古(へのこ)沿岸で、ここはキャンプシュワブ(在日米軍海兵隊)に隣接しているエリアです。
この辺野古沿岸の浅瀬には、ジュゴンの生息が確認されており、主食の水草を食べに来ています。もし辺野古沿岸に基地移設が実地されれば、海は埋めたてられ、ジュゴンの藻場は失われ生息することが難しくなります。

絶滅危惧種(レッドリスト)に指定されているジュゴンが、日本に、沖縄の海にいた!
ジュゴンは国の天然記念物にも指定されています。それなのに生息地を壊してしまう!?

その話を聞いた次の日に、偶然にもテレビで「北限のジュゴンを見守る会」代表の鈴木雅子さんのインタビューを目にしたのです。
鈴木さんは、沖縄に生息しているジュゴンを守る活動を通して、沖縄の自然環境保護活動に取り組んできた人です。
早速、連絡を取り、半月後には沖縄で鈴木さんと会うことができました。
そして鈴木さんを通して、危機にあるジュゴンの話はもちろん、自然環境と共に日々の生活を送っている沖縄の人たちとも話すことができたのです。彼らは、「安心して暮らせる未来を子供たちに残そう」という思いを強くしている人たちでもありました。

沖縄の海2

   ■ジュゴンが目撃されている辺野古沿岸

壊したら二度と戻らない自然環境を守るために

最初に訪れたのは辺野古キャンプシュワブ近くにあるテント村でした。 このテント村では基地移設反対のために、10年以上座り込み活動をしている人たちがいます。テント村を訪れたときも、支援する人たちが全国から来ていました。
時折、訓練の銃撃音が響き渡ります。少しすると、低空で飛行するオスプレイ2機と遭遇しました。本土にいるかぎりは絶対にわからない、静けさを破るその音には、えもいわれぬ怖さが感じられました。

テント村1
■辺野古の基地移設反対テント村(1)

テント村2
■辺野古の基地移設反対テント村(2)

テント村3
■辺野古の基地移設反対テント村(3)

空を見上げると、澄みわたる青空。地面に生きる植物を見ると在来種と外来種が混在していますが、かわいらしい花は咲き、緑の植物がいきいきと繁っています。海を見渡すと、おだやかで静かなエメラルドグリーンが広がっています。
そこに、のどかな光景を壊すかのように、金網越しのキャンプシュワブにけたたましい音と共に海上訓練から数機のボートが戻ってきました。
ここに普天間基地が移転したら、目の前の美しい自然環境はどうなってしまうのか……。

辺野古の海には所々に人工的にサンゴで作られた護岸があります。
市ではもともとコンクリートで作る予定だったのですが、鈴木さんが市と協議を重ね、サンゴを使って護岸を建設することになったのです。
浜辺を歩くと、サンゴや様々な貝殻が打ち上げられています。波の音を聞き、陽を感じると、海も砂浜も、この大空も、風も、そして私たち人間も環境のちいさな一部であると感じさせられます。
そして海を見つめながら話をしてくれる鈴木さんの目には、沖縄の環境や自然を守り続けていくという力強い意志がみえました。

海岸を隔てるフェンス
■辺野古の砂浜とキャンプシュワブを区切る金網

 

観光地化によって荒らされている自然環境

鈴木さんの案内でけもの道のような自然にできただろう山道を15分ほど歩くと、「ジュゴンが見える丘」と呼ばれる高台に出ました。
そこの丘からはジュゴンが生息、確認されている海域を一望することができます。ものすごく壮大な見晴らしです。その丘は、この世に私たちしかいないのでは? と思うくらい静かで、地球を、自然を感じることができる空間でした。
しかし、またしても2機のヘリコプターのものすごい音によって現実に戻されました。高台だったせいもありますが、機体を確認できるくらいの距離です。自然の中にいるからこそ、感じる恐怖なのかも知れません。

私たちは今帰仁村(なきじんそん)に帰属する「古宇利島(こうりじま)」に向かいました。古宇利島は半径1km、周囲は8kmほどの大きさの島です。 私からみると古宇利島は、人も少なく発展しているようには見えませんでしたが、「ハートの形をした岩が旅行雑誌やテレビで取り上げられてから島は変わりました」と鈴木さん。 観光地となり、もともと住んでいた人たちは島を出ることを考えたり、捨て犬や捨て猫が増えたそうです。この日も道路脇に白い犬が座って通る車を見ています。鈴木さんによると、捨てられた犬たちはそうやって戻ってくることのない飼い主を待ち続けるのだそうです。現在、鈴木さんの家にいるねこちゃんとの出会いも、ここ古宇利島とのことでした。

いまや古宇利島の名所となっているハートの岩がある砂浜には、在来種のみで自然にできた護岸があります。地面に生える植物から木までが在来種なのは、非常に貴重な自然の護岸のモデルだそうです。
砂浜にはもとはサンゴだった大きな岩が、波の力や風の力で岩の真ん中が削られ、向こうが見えるくらいの穴があいています。自然の力は考えられないくらい大きなものです。
こういった自然の力があるために、植物たちはそこに護岸を形成するのです。これは、人間では作れない、とても素晴らしい自然力です。
しかしそんな砂浜を歩くうちに、外国語で書かれたペットボトルやごみが散乱していたのがとても残念でした。
「これ以上、人が入るようになったら、そこに住んでいる人々の暮らしや、植物の生態、環境が変わってしまうかも知れない」、という鈴木さんの話を聞きながら目に入ったのは、前に訪れた時には建っていなかったアミューズメントパークのような貝の博物館でした。

テント村1
■サンゴを使った護岸越しにジュゴンが生きる海を見つめる鈴木さん

テント村2
■雑誌やTVでも取り上げられるハート形の岩(1)

テント村3
■雑誌やTVでも取り上げられるハート形の岩(2)

海岸を隔てるフェンス
■大きな岩に自然の力でできた穴

 

自然との共存を忘れないで生きる人々との出会い

鈴木さんの紹介で琉球藍を作っている上山さんに合いました。
そこは名護市の大湿帯(オーシッタイ)と呼ばれるところで「やまあい工房」を夫婦で主宰しています。敷地内の畑一面に夫が作る無農薬の藍が育てられています。
上山さんは、藍を石灰水と混ぜ(防腐作用)、藍から取れた水を泡盛、蜂蜜、黒砂糖などと混ぜます。低温になりすぎないように気をつけて保管し撹拌させます。そこから作られる藍の色はまさに目の覚めるような藍色です。

テント村1
■上山さんが大切に作る琉球藍

テント村2
■沖縄の自然と上山さんの思いが作り上げる藍色

工房やお宅で使う水は山からの湧き水を使っています。 畑には(もちろん無農薬の)ぽんかんやシークゥワーサーの実もなっていて、美味しくいただきました。
上山さんの思いは、「自然と環境が共存して暮らしていけるという、このライフスタイルを続けることにより、環境循環型が可能だということを伝えたい」というところにありました。
そしてまた「沖縄から基地をなくすことにより、これ以上は何も壊さず、未来に繋げていきたい」という望みがそこにはありました。

テント村3
■「やまあい工房」の上山弘子さんと

海岸を隔てるフェンス
■庭で作られている原料の藍

 

本当の自立を求めて食べ物だけではなく家も手作り

次に訪れたのは、陶芸家のタバさんのお宅。「食べる野菜は自家栽培の無農薬野菜のみ、ご自身の家もまた手作り」、という徹底した自然とともに生きる暮らしを実践されています。そこは名護市内から車で40分くらい離れていて、舗装されていない山道を上がったところにありました。
外からみると、ピラミッドのような大きな三角の屋根が特長的です。

テント村1
■タバさん手作りの家

中に入ると床は地面で、家というより、数えきれないくらいの作品が置いてあり、大きなアトリエのようです。30匹いるという猫ちゃんたちが自由にその大きな空間を過ごしています。 家の真ん中には手作りのいろりがあり、そこで私たちは魚を焼いていただきました。焼きあがるとタバさんは外の月桃の大きな葉を取りにいき、その葉に魚を乗せました。思ったより月桃の葉は丈夫です。熱い魚を乗せてもしなることはありません。
沖縄の泡盛と島らっきょう、タバさん手作りの豆腐の鍋をいただきながら話を聞きました。 電気はなく、いろりの火が灯りです。そのなかで聞くタバさんの話は余計に頭に残った気がします。タバさんの肌はつややかで、髪は真っ黒で相当お若くみえますが、60代後半にさしかかるご年齢です。
タバさんがジュゴンに遭遇した話をしてくれました。子供の頃の話なので60年以上前の話になります。当時は家の食を助けるために海に潜ったりしていたそうですが、その時に目の前に白い巨体がすっと現れ、思わず「食べられる!」と感じ、急いで逃げたそうです。それがジュゴンとの遭遇でした。当時は中国と貿易が盛んで、ジュゴンの肉は高級とされ食用として献上されていました。今のような絶滅危惧種ではなく、もっと多く生息していたそうです。

テント村2
■家の真ん中にある大きないろり

テント村3
■のびのびとタバさんと暮らす猫ちゃん達

タバさんのような年齢の方たちは、日本の内地のことを「ヤマト」と呼びます。太平洋戦争から、現在までどんなに沖縄が犠牲になり続けているかを聞きました。私は沖縄が大好きで何回も訪れていますが、こんなに深い話を聞いたのは初めてでとても衝撃的でした。
終戦後、アメリカ兵による民間人への事件は多くありましたが、その多くは報道されることもなく葬られてしまっていたそうです。それでも沖縄の人たちは我慢をし続けました。
沖縄が日本に返還されたあとに、タバさんは内地に用事ができ飛行機を使うことになりましたが、そこで必要だったのは「パスポート」だったといいます。返還されて同じ日本国民なのに・・タバさんは憤りを感じました。
現在はリゾートやパワースポットなどで人気にある沖縄。美しい海や自然が多くある沖縄ですが、本土には届かない沖縄の声が現在もあるのです。

 

自然からの声に耳を済ませて

鈴木さんをはじめ、名護市で会った人たちは、「辺野古への基地移転が本当の反対ではない。沖縄から基地をなくすことが本当の願い」だといっていました。
沖縄には沖縄の海や山、木、自然には神様がいると信じている人たちが多くいます。これ以上、人間が沖縄の自然を壊し続けたら、神様のばちがあたると考えています。
普天間基地の移転先候補になっている辺野古の海には、神様を祀っている場所があります。そこは岸から数10mほどにある岩で、それは、竜神の背の部分だそうです。そして竜神の頭は金武(きん)地域に、尾は久高島だと伝えられてきました。昔から祀られ、祈りを捧げてきた場所ですが、辺野古沿岸が埋め立てられたらこの神聖な岩も消えてしまうのです。

現代は人間の力によって大きく発展しました。しかし、その裏には自然破壊や自然界にないものを作り出した代償としてさまざまな病気にかかる人も増えているのです。
地球や自然は人間だけのものではありません。あまりに勝手な破壊をし続けたら、必ず自然界からの逆襲に遭う事になります。自然界にないものを作り出すということは、人間はそれだけのリスクを背負わなければいけないのです。
地球が誕生して45億年以上が経ちました。
資源や自然は限りあるものです。今こそ私たちの地球、私たちが暮らす日本の自然破壊について真剣に考えるべきときです。一度壊した自然は二度と元には戻らないのです。そしてそこに暮らす生物や植物も二度と元には戻らないのです。

テント村1

   ■いまの自然環境を未来につなげるために


私たちの暮らしのなかにも身近な「自然」はあります。しかし、自分たちに関係のある環境だけではなく、同じ日本で起きていること、地球レベルの環境問題ともっと向き合わなければいけない時期にきているのではないでしょうか。

手遅れになる前に、自然を怒らせる前に。

文・写真 鈴木順子

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